[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
でもろくてい記以降、断筆しているそうで、次の武侠ドラマはどうなるのでしょう。
天龍八部を再放送してもらいたいです。
ウィキの解説引用
天龍八部 (小説)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文学 |
---|
![]() |
ポータル |
各国の文学 記事総覧 |
出版社・文芸雑誌 文学賞 |
作家 |
詩人・小説家 その他作家 |
お知らせ |
このテンプレートの解説ページができました。使用されるべき記事が決まりましたので一度ご確認ください。 |
『天龍八部』(てんりゅうはちぶ、簡体字:天龙八部、拼音: Tiānlóngbābù )は、中国および中華圏(台湾、シンガポール、華僑・華人コミュニティ等)で著名な小説家金庸の武侠小説の1つ。
金庸が手掛けた8番目の長編作品で、『鹿鼎記』と並ぶ最長編でもある。また、金庸の作品の中でも最高峰に位置づけられている。
注意:以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。
目次[非表示] |
概要 [編集]
天龍八部は、1963年9月3日より、香港の『明報』とシンガポールの『南洋商報』に同時に連載が始まり、1966年5月27日に完成するまで、足かけ4年を要した。その中で、1965年5月から1ヶ月余り、金庸が欧州に外遊していた期間、友人であった作家倪匡が 代筆を行っている。その際、作中に登場する少女阿紫の性格を嫌った倪匡が、金庸には無断で、彼女を盲目にした逸話は有名である。天龍八部の初版本におい て、倪匡の代筆部分はそのまま収められたが、後に金庸が自作の修訂を行った際にこの代筆部分は削除され、新たに書き起こされた。ただ、阿紫の失明という構 想自体は残されている。
物語は、11世紀末宋代の中国大陸を舞台に、契丹人でありながら漢人として育てられた悲劇の英雄蕭(喬)峯、雲南大理国の武芸嫌いながら数々の絶技を身につけてしまう王子段誉、心ならずも戒律を破ってしまう少林寺の僧虚竹、古の大燕国の末裔で、一族の悲願である王朝復興を夢見る貴公子慕容復の4人の若者を中心に、親の世代が残した確執に運命を翻弄される若者たちの生き様を描いた群像劇である。
話の展開は錯綜としており、上記の4人を巡る物語は、時に独立して語られ、それが、不思議な縁で結び合わされている。また、登場人物は善悪の観念では書き分けられていない。多面的で、それぞれが宿業を背負い、見えない因果の糸によって操られている。焦点も多重的で、舞台も雲南から江南、中原、北漠、西域へと目まぐるしく移ってゆく。運命流転の大河小説である。
なお、題は仏法を守る神々である天龍八部衆(天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩喉羅迦)に由来しており、物語自体も仏教的な思想に基づいて構築されている一面を持つ。
登場人物 [編集]
丐幇の幇主。その豪放磊落な性格から人望を集めていたが、契丹人であるとの出生の秘密を暴露されたことで、丐幇を追放される。このとき、もと名乗っていた養父の姓である「喬」から、契丹人の両親の姓である「蕭」に姓を改めた。更に時を同じくして身近な人々が殺される事件が続発し、犯人と疑われたことで追いつめられてゆく。
- 段誉(だん よ)
大理の鎮南王兼保国大将軍段正淳の息子。琴棋書画を愛し、争いを嫌う平和主義者だが、江湖で様々な事件や人物に遭遇するうち、偶然にも逍遥派の絶技「北冥神功」と「凌波微歩」を身につけ、更に家伝の「六脈神剣」まで習得してしまう。
- 虚竹(こちく)
少林寺の僧。元は少林寺の菜園に捨てられていた孤児で、慈悲深く、仏教に深く帰依していた。だが、生まれて初めて寺を出た途端、奇妙な事件に遭遇し、偶然にも逍遥派の掌門に指名されてしまったことで、人生が大きく狂い始める。
- 慕容復(ぼよう ふく)
姑蘇燕子塢参合荘の主。古に興った大燕国の末裔で、 家伝の独自の武術を身につけた文武両道の貴公子。武林で、蕭(喬)峯と並び称せられるほどの使い手であるが、一族の悲願である王朝の復興に執着して、悪事を積み重ねていく。
- 王語嫣(おう ごえん)
慕容復の従妹で、曼陀山荘の主王夫人の娘。あらゆる武芸に精通した武林の生き字引で、従兄の慕容復を恋い慕っている。段誉が無量山の洞窟で見つけた玉像に生き写しの美貌の主。
- 阿朱(あしゅ)
慕容家に仕える侍女で、燕子塢の聴香水榭に住む。どんな人物にも化けられる変装術を得意としている。少林寺に忍び込み、重傷を負ったところを蕭(喬)峯に救われたことから彼を慕うようになる。
- 阿紫(あし)
「星宿老怪」丁春秋の弟子。毒を用いるのを得意とし、口舌に長ける。性格は残酷で、神木王鼎を盗み出し、星宿海から逃走。蕭(喬)峯や阿朱とも重要な関わりを持つ。
- 游担之(ゆう たんし)——聚賢荘の「游氏双雄」の游驥の息子で、游駒の甥。蕭(喬)峯を仇として狙う。 蕭峯が聚賢荘で父親を殺害されると、「荘聚賢」と偽名を使い、蕭峯を付け狙った。
- 段正淳(だん せいじゅん)——大理の皇帝の弟で、鎮南王兼保国大将軍の地位にあり、段誉の父でもある。正妻刀白鳳の他に、多くの愛人を持つ。ある意味では、段誉にとって一番の敵とも言える。
- 刀白鳳(とう はくほう)——大理の鎮南王妃。段正淳の妻で、段誉の母。夫と別居して道姑となり、「玉虚散人」と名乗っている。
- 段延慶(だん えんけい)——「悪貫満盈」。大理の元皇太子で、皇位を巡って段家と対立している。「四大悪人」の首。
- 葉二娘(よう じじょう)——「無悪不作」。他人の赤子をさらっては弄び、最後は殺してしまう嬰児殺しとして恐れられている。「四大悪人」の二番手。
- 南海鱷神(なんかいがくしん)——「兇神悪煞」。岳老三と呼ばれているが、「四大悪人」の二番手を自称しているため、岳老二と名乗ることが多い。段誉に弟子入りを迫るが、逆に弟子にされてしまう。「四大悪人」の三番手。
- 雲中鶴(うん ちゅうかく)——「窮兇極悪」。「四大悪人」の末弟。軽功に長けた色魔。
- 鳩摩智(くまち)——大輪明王と呼ばれる吐蕃の護国法王。知慧に優れ、仏法に精通しているばかりか、武術の達人でもある。段家の「六脈神剣」を狙う。
- 無崖子(むがいし)——逍遥派の掌門。
- 天山童姥(てんざんどうぼ)——無崖子の師姉で、天山縹緲峰霊鷲宮の主。三十六洞七十二島を生死符で支配している。
- 李秋水(り しゅうすい)——無崖子の師妹で、西夏の皇族。
- 木婉清(ぼく えんせい)——黒衣をまとい、顔を隠した少女。男に顔を見られたら、殺すか結婚するという誓いを立てている。
- 鍾霊(しょう れい)——無量山で段誉が出会った少女。「閃電貂」という名の猛毒を持つ貂を飼っている。
- 玄慈(げんじ)——少林寺の方丈。中原武林の領袖的存在。
- 智光(ちこう)——天台山止観禅寺の高僧。人々から生き仏として敬われている。蕭(喬)峯の出生の秘密を知っている。
- 徐長老(じょ ちょうろう)——引退した丐幇の大長老。先代幇主汪剣通の師伯に当たる。
- 白世鏡(はく せいきょう)——丐幇の執法長老。厳格公正な人柄で、幇内の者から恐れられている。喬(蕭)峯の信頼が篤い。
- 全冠清(ぜん きんせい)——丐幇大智分舵の舵主。智謀に長け、「十方秀才」と呼ばれる。喬(蕭)峯追放を策す。
- 馬夫人(まふじん)——本名は康敏。丐幇の副幇主馬大元の未亡人。
- 丁春秋(てい しゅんじゅう)——「星宿老怪」と呼ばれ、人々から忌み嫌われている悪人で、無崖子の弟子。他人の内功を盗む「化功大法」の使い手。
- 耶律洪基(やりつ こうき)——遼の皇帝。蕭(喬)峯と義兄弟の契りを結ぶ。
- 完顔阿骨打(あぐだ)——蕭(喬)峯が知り合った女真族の勇士。後の金の太祖。
他多数
あらすじ [編集]
唐滅亡後の分裂していた中国を統一した宋は、契丹人の建てた北方の遼や党項(タングート)人の建てた西北の西夏によって、常に国境を脅かされていた。
家伝の武術を誇る雲南大理の王子・段誉は、学問を好み、争いを嫌う平和主義者。父親に武術の修行を迫られて家出するも、江湖のいざこざに巻き込まれ、様々な事件や人物と関わっているうち、偶然にも逍遥派の絶技を身につけ、おまけに家伝の「六脈神剣」まで習得してしまう。そんな段誉には更なる波瀾が待ち受けていた。
江湖最大の勢力である丐幇、その幇主喬(蕭)峯は、沈毅にして豪放磊落、多くの人々に慕われている、まさに武林の寵児であった。だが、実は契丹人であったという自らも知らされなかった出生の秘密が突如明かされたことで全てを失い、民族間の憎悪の渦中に投げ出され地獄の道程を歩み出すことになる。
少林寺の菜園に捨てられていた孤児であった虚竹は、僧侶となって仏教に深く帰依していた。ある時、使いに出されて初めて寺の外に出るが、様々な奇禍に巻き込まれて逍遥派の掌門に指名されてしまい、更にある少女を救ったことから、僧侶として歩むはずだった人生が大きく狂い始める。
宋朝より遡ること数百年前に滅んだ大燕国の末裔たる慕容復は、文武両道の貴公子で武林では喬(蕭)峯と並び称されるほどの使い手であったが、父親と共に、王朝再興という一族代々の悲願に凝り固まっていた。
偶然の出会いから意気投合した段誉、蕭(喬)峯、虚竹の3人は義兄弟の契りを交わし、共に手を携えて江湖の荒波に立ち向かっていく。一方で、王朝復興に執着する慕容復は、仁義に背いて恋人も友も捨て、悪事を積み重ねてまで見果てぬ夢を追い続ける。そんな彼らを操っていたのは、親の世代から受け継がれた思いも寄らぬ宿業だった。
民族関係 [編集]
金庸の武侠小説の多くは、歴史の転換期が舞台に設定されている。そのこと自体は武侠小説において珍しいことではないが、金庸の作品は、中国だけではなく、周辺の国家や民族との関わりが描かれることが多い点において、特徴的である。中でも天龍八部は、最も複雑な民族関係が描かれている。
天龍八部の舞台は11世紀末、宋代の中国大陸。五代の混乱を収めて中原を統一した漢人の宋に対して、北方に契丹人の遼、北西に党項(タングート)人の西夏が鼎立するなど、様々な国家と民族が入り乱れていた時代である。
物語に登場する4人の主人公も、それぞれ複雑な国家・民族関係を抱えている。
最初に登場する主人公段誉は、宋の南西に位置した小国大理の王子で、その母は少数民族族擺夷族の出身という設定になっている。また大理の段氏自体が、史実では、擺夷族系白族である。
段誉は吐蕃の護国法王である鳩摩智にさらわれ、江南の慕容家へ連れて行かれるが、この慕容氏は、数百年前に存在した鮮卑族の燕朝の末裔という設定である。古の王朝復興が一族の悲願であり、主人公の1人である慕容復は密かに宋朝の転覆を企てている。
慕容家を離れた段誉は立ち寄った酒楼で、偶然にも丐幇の 幇主喬峯に出会い、義兄弟の契りを結ぶ。物語中盤の主人公であるこの喬峯こそは、天龍八部の民族問題を象徴する人物である。喬峯は武勇に優れ、人望もあ り、中原最大の勢力である丐幇を率いて中原への侵入を図る周辺異民族との戦いに身を投じ、とりわけ北方の契丹人を民族の宿敵として死闘を繰り広げてきた。 だがある日、実は契丹人であるという本人さえ知らぬ出生の秘密を暴露されたことで、今まで仲間だった者から裏切り者扱いをされたばかりか、今まで己が信じ てきた価値観が全て崩壊するという事態に直面する。契丹人である喬峯がなぜ漢人として育てられたのか? その原因は30年前に雁門関で起こったある悲劇にあったのだが、その事件の真相が物語全体の鍵ともなっている。
壮絶な民族差別に遭って宋を追われた喬峯は本来の契丹人の姓を名乗って蕭峯と名を変え、同胞である契丹人の国遼に逃れるが、終始民族問題に悩まされる。その過程で、当時は契丹人の支配下にあって、後に金を建国することになる女真族の人々と出会うのだが、その素朴な生活に接し、交流を深めることで、民族問題を客観的に捉えることができるようになるのである。金庸の作品では、伝統的な中華思想は否定され、諸国家・民族が客観的かつ平等に描かれるのが、特徴であるが、それが最もよく表れているのが、天龍八部の蕭峯にまつわる逸話である。中国という存在を相対化し、その歴史を批判的に見ようとする視点が、作品の構造そのものの中に備わっているのである。
少林寺の僧で、最後の主人公である虚竹も、後に西夏の公主と結ばれる。
こうして宋を内部から転覆させ、王朝復興の悲願を遂げようと企む慕容一族、南下して宋侵攻の機を窺う契丹人の遼、その背後で密かに実力を養う女真 族、祖国と民族防衛の使命感に燃える中原の少林寺や丐幇など武林の英雄たち、西北から虎視眈々と漁夫の利を狙う西夏、更にその間に暗躍する吐蕃、そして南 西に逼塞して自己保全を図る大理、という錯綜した国家・民族関係を背景に、驚天動地の物語が繰り広げられる。
仏教との関連性 [編集]
天龍八部の題は、仏教において、仏法を守護する神々である天龍八部衆(天、 龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩喉羅迦)に由来している。金庸は、小説冒頭の解題で、これら各々が奇異な個性と神通力を持ち、人ならざる存 在でありながら、人と同じく俗世の喜怒哀楽を味わう神々について、物語の中ではそれ自体は登場しないものの、その名を借りて、現世の人々を象徴してみた、 としている。
実際の物語においても、その背景に横たわっているは、武術、民族は言うに及ばず、男女間の情愛でさえも、時と共に全て消滅てしまうという一種の諦 念、無常感であり、これが仏教の思想であることは明らかである。金庸は仏教の哲理にも深い理解があることで知られ、仏教の術語を小説の題としたのもその表 れとされている。
武功と絶技 [編集]
金庸作品の中でも最も武功の数が多い。射雕英雄伝の「降龍十八掌」や「一陽指」、笑傲江湖の「吸星大法」など他作品との繋がりもある。
- 「六脈神剣」――大理の武功の中で最も強力とされる伝説の技。指先から無形の剣気を撃ち出して相手を倒す。段誉のような完璧な習得者が現れたのは、実に百年ぶりのことだった。
- 「一陽指」――大理段家の得意技。射雕英雄伝の「南帝」こと一灯大師が使うものと同じである。大理王家の男子は皆習得を課せられる為、段延慶もこの技を使う。
- 「七十二絶技」――少林寺の持つ七十二の必殺技の総称。少林寺の創始者とされる達磨大師を除き、全てを会得した者はいない。
- 「降龍十八掌」――丐幇幇主に受け継がれる武功。射雕英雄伝に登場した技と同じである。
- 「打狗棒術」――丐幇幇主に受け継がれる棒術。同上。
- 「凌波微歩」――仙女の像で発見した奥義書で、段誉が会得した最上の軽功。彼が最初に身につけた武功である。
- 「北冥神功」――同じく仙女の像で発見した奥義書で段誉が会得。相手の内力を吸い取ってしまう。これにより段誉は世にまれな内功の持ち主となる。
- 「化功大法」――「北冥神功」と効果は同じ。丁春秋が使うが、邪道の技として武林で恐れられている。
- 「生死符」――無影無音無色無香の暗器。当てられると死よりも恐ろしい苦痛を味わう。三十六洞七十二島はこれを受けて解く術が無いため、天山童姥に支配されていた。後に逍遥派を継いだ虚竹が習得する。
以上で物語・作品・登場人物に関する核心部分の記述は終わりです。
書誌情報 [編集]
2002年3月から2002年10月にかけて、徳間書店の金庸武侠小説集の第12回刊行作品として、全8巻が出版された。
- 単行本
- 徳間書店・岡崎由美 監修\土屋文子 訳
- 剣仙伝説 2002年3月31日刊行 ISBN 4-19-861492-X
- 王子受難 2002年4月30日刊行 ISBN 4-19-861503-9
- 運命の激流 2002年5月31日刊行 ISBN 4-19-861516-0
- 行路茫々 2002年6月30日刊行 ISBN 4-19-861530-6
- 草原の王国 2002年7月31日刊行 ISBN 4-19-861542-X
- 天山奇遇 2002年8月31日刊行 ISBN 4-19-861561-6
- 激闘少林寺 2002年9月30日刊行 ISBN 4-19-861575-6
- 雁門悲歌 2002年10月31日刊行 ISBN 4-19-861588-8
映像化作品 [編集]
- 映画
- 『天龍八部』 1977年 香港
- 『幇規』 1982年 香港
- 『新天龍八部』 1982年 香港
- 『シスター・オブ・ドラゴン 天女武闘伝』(原題:新天龍八部之天山童姥) 1994年 香港・・・主演:ブリジット・リン、コン・リー
- テレビドラマ
- 『天龍八部之六脈神剣』 1982年 TVB 香港
- 『天龍八部之虚竹傅奇』 1982年 TVB 香港
- 『天龍八部』 1991年 中国電視公司(CTV) 台湾
- 『天龍八部』 1997年 TVB 香港
- 『天龍八部』 2003年 中央電視台(CCTV) 中国
- コミック
- 『天龍八部』 画:黄玉郎 香港
- ゲーム
- 『天龍八部』 2007年 捜狐 中国・・・イメージキャラクター:フー・ジュン(胡軍)(テレビドラマ『天龍八部』主人公・喬峯役)。MMORPG(多人数同時参加型オンラインRPG)で、最大同時接続者数が50万人を超える大ヒットを記録。ポータルサイト大手「捜狐」の売上げを大幅に上昇させた。 公式サイト(中国語)
- 『天龍八部online』 遊戯新幹線(GameFlier) 台湾・・・イメージキャラクター:賀軍翔(マイク・ハー)。上記の台湾版。公式サイト(中国語)
|
歌舞伎町は外国人たちが作り上げた街という裏の顔を持つ。
戦後、開放国民となった台湾華僑や半島出身者たちが土地を手に入れビルを建てた。
彼らや街の有志たちが大同団結し荒地であったこの街を一大娯楽街にと映画館・劇場などの娯楽施設を作り歌舞伎劇場を誘致しようとした。
その際に歌舞伎町と言う町名が誕生した。
そうした歴史を持つ街の自国出身成功者を頼って外国人が集まるのも、ネオンの輝く歓楽街に集まるのも当然の事であった。
家賃も安く再開発の遅れた住宅地を周辺に抱えていたことも好条件だった。
この街で初めて外国マフィアという名称が与えられたのは韓国・台湾ヤクザたちだ。
戦後、ともに自由主義国家の道を歩んだ韓国・台湾のヤクザは日本のヤクザと精神性に共通点が見られ、ヤクザの権益を荒らすことなく闇の奥深くで彼らは増殖していった。
韓国ヤクザは次第に事業化していき、のちに歌舞伎町にコリアンゾーンを作り上げた。
知られざる韓国組織暴力(ヤクザ)事情とその歴史
問題は台湾ヤクザであった。「竹連幇」「四海幇」「天道盟」という黒社会の人間が身分詐称して入国した。流珉と呼ばれる彼らは凶暴であった。
歌舞伎町に近いマンション「O」で台湾マフィア同士が激しい銃撃戦を繰り広げ全員が死亡するまで殺し合った。
その後、警戒に当たっていた職質警官をいきなり射殺するという事件が続いた。犯人は「殺手」と呼ばれ台湾で十数人を殺し海外逃亡中の凶悪手配犯であった。
警察の摘発にヤクザの排除という表裏一体の攻撃を受けた彼らは衰退していった。
その後、イラン人が台頭してきたが、彼らもヤクザたちに駆逐され消えていった。
空白を埋めたのは中国人マフィアたちであった。彼らは上海、北京、福建という三大グループを中心に出身地ごとにグループ化していた。
「看板」を出している日本人ヤクザと違い、彼らは簡単には実態を見せなかった。
地元の日本人組織も最初は自国人のみを相手にしたシノギに関しては黙認していた。
しかし暴対法で日本人ヤクザの行動が制限されると彼らは一気に力を付けた。そして事件は起きた。
九十四年八月十日、歌舞伎町の裏面史に残る残忍な殺人事件であった。快活林事件、俗にいう青竜刀事件である。
この事件で中国マフィア・黒社会というものが衝撃的にクローズアップされた。
一般的には彼らのシノギである弁当販売の利権争いが原因と発表されているが、それは単なるきっかけであり、実際には中国マフィアの「北京」と「上海」の抗争の一部であった。
快活林事件の前に福建出身のヒットマンが別グループから殺人を依頼され対立グループと繋がった中国系マレーシア人やクラブ経営者を殺害するという事件が連続していた。
これらは自国人就労者を客にした賭博利権などの奪い合いであった。
彼らは自国人専用のサロンという名の非合法の賭場を開いていた。
そこでは就職・不動産・偽装結婚・保証人の斡旋、犯罪情報の交換、盗品マーケットや地下銀行業務も行われていた。
その奪い合いに加えて売春利権や金銭問題などが蓄積され一気に爆発した抗争であった。
さらに売春、薬物をシノギとする東北マフィアという新勢力も台頭。
歌舞伎町で地元組織のひとつが主催して親睦交流会が秘密裏に開催された。集まった中国人幹部は三百人であった。
そうした彼らの実態を把握できずに一斉摘発という社会的弱者までをも巻き込む大動員作戦を取るしかなかった当局の苦肉の対策とヤクザという自浄抗体を骨抜きにした施法は、彼らを完全な犯罪者集団に変え各地に四散させて日本を犯罪天国にしてしまった。
ピッキング、スキミング、旅券・金券・カードなどの偽造技術のほとんどは彼らが持ち込んだものだ。
ちなみにこの街の歌舞伎という言葉は中国では「舞伎館」という遊郭・娼館に勤める歌妓・舞妓や娼婦のことである。
有名な看板アーチである歌舞伎町一番街・・・、
一番の売春婦街と書いてあることにもなる。
街の名前に誘われて彼らが集まるのも無理からぬ話である。
1987年2月 歌舞伎町近隣のマンションで台湾マフィア同士の銃撃戦。3名死亡。
1987年12月 大久保のマンションで台湾マフィア幹部2名が射殺される。犯人は前科16犯の「ピストル楊」こと楊双力(五)であった。
1988年1月 四谷で台湾マフィア二名を恐喝で逮捕。台湾で十六名を殺して国際手配中だったことが判明。
1992年9月 職質警官が台湾マフィアにいきなり射殺される。これを機に台湾マフィア衰退。
1993年 イラン人の台頭。
1994年 中国マフィアの三大グループ「上海」「北京」「福建」勢力拡大。
1994年2月 中国人クラブ「Y」殺人事件。上海人経営のクラブに福建人が襲撃。
1994年6月 中国人クラブ「C」で客の福建人が上海人を刺殺逃亡。
1994年7月 カラオケスナック「K」に青竜刀を持った中国人が襲撃。
1994年8月 快活林青竜刀事件。
1994年 歌舞伎町で働く不法滞在中国人女性が逮捕。入管警備局で暴行を受ける。これに抗議した在日中国人は「入管暴力抗議実行委員会」を結成。
1995年9月 警視庁は「新宿地区環境浄化総合対策本部」を設置。「環境浄化作戦」を展開。正業を持つ中国人らが「新宿華人商業相互組合」を結成。
1998年 警視庁は歌舞伎町「国際組織犯罪特別捜査隊」を結成。
1998年8月 銀座宝飾店強盗事件、旅券偽造で歌舞伎町上海マフィアのボスD逮捕。
1999年 韓国カジノとクラブの経営者が射殺される
2000年 貸し金庫の管理をしていた女性が中国人に殺害される
2000年2月 改正入管法」施行。不法滞在の時効を廃止。摘発・強制送還の簡素化。
2000年4月 中国政府が観光ビザ発行開始。日本への観光ブーム到来。
2001年8月 福建マフィアによる中国クラブ「V」強盗殺人事件。日本人店長が殺害される。
2001年11月 中国クラブ「R」ママ強盗殺人事件
2002年2月 歌舞伎町監視カメラ運用開始
2002年9月 喫茶「P」にて東北マフィアが住吉会幸平一家組員を射殺
2002年10月 その報復といわれる中国クラブを狙った歌舞伎町異臭事件
2002年10月、喫茶「P」の報復で住吉会幸平一家は、中国側運転手を刺殺。死体を新宿区上落合に遺棄。
2003年1月 中国女子留学生のマンションに4人組の中国人強盗
2003年3月 大久保のマンションで中国人殺害される
2003年4月 「東京入国管理局新宿出張所」「警視庁組織犯罪対策課」が歌舞伎町に新設され、外国人一斉摘発。福建マフィア壊滅?東北マフィアが勢力を増す。
2004年6月 「歌舞伎町刷新プラン」発動 歌舞伎町浄化大摘発スタート
2005年1月 「歌舞伎町ルネッサンス協議会」
2005年3月 東北グループ、残留孤児二世「怒羅権」のボス「大偉」逮捕される。
2006年1月 2001年8月のクラブ強盗殺人事件の国際手配していた中国人の男3人に中国の裁判所が死刑・懲役刑の判決。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※ 東北グループ(東北幇 )
中国東北地方(旧満洲=遼寧、吉林、黒竜江3省)出身者または日本に帰国した中国残留孤児の二世からなる中国マフィア。 中国東北3省は貧しいが、歴史上、日本と関わりが深く高校でも日本語を教えている。
※「パリジェンヌ」事件
2002年9月、新宿歌舞伎町風林会館1階のグリル「パリジェンヌ」で中国マフィア(東北幇)がヤクザ(住吉会系幸平一家)2人を殺傷。 銃撃犯、金石(日本名、村上)は黒龍江省出身で、事件後、中国に逃亡。
2002年10月、住吉会幸平一家は、中国側運転手、張立濤を刺殺。死体を新宿区上落合に遺棄。この事件で住吉会幸平一家組員5人が警視庁の指名手配を受け、数人が逮捕される
2003年3月、金石(日本名、村上)、澳門に入ろうとして中国公安局に拘束され黒龍江省に移送される。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(C)SHINSHUN
中国の特有の人間関係 「幇」
>・なぜ中国人は自己中=個人主義が強いのか?・・・・・ちょうどるいネットでも紹介されていますが、中国人は血縁の結束力は強いが、他に対しては出し抜くことばかり考えているという。その源流はどこにあるのでしょうか?中国文明のなんで?
こんにちは、Hiroshiです。
中国人の身内での結束力と、身内や親しい人以外に対しての割り切り、非情さ。その性質を巡って中国人に対する評価が、大きく分かれているように思います。
それを解く鍵・キーワードは、「幇」(“パン”または“ほう”)という言葉にあるようです。
★中国社会の構成は極く簡単にまとめると、
縦軸(血縁のつながり)として父系集団としての「宗族」があり。
横軸として仲間や連帯の契りを結んだ「幇」がある。
宗族についてはとりあえず、 「中国社会の基本構造:宗族と祖先崇拝・儒教」を参照してほしい。ここでは、主に「幇」について調べてみたい。
みなさん「幇」ってご存知でしょうか?僕なんかどうも青幇・紅幇なんかの秘密結社?とかを思い出してしまうのですが、どうも中国人至るところ「幇」ありという感じらしい。
たとえば、世界中に進出している華僑。華僑より>
華僑は「幇(パン)」という同郷同胞の連帯組織を作り、相互扶助を行う。
「幇(パン)」には次の2種類ある。・郷幇(きょうばん)……籍貫(しゃくかん)(=出身地)に基づく地縁的集団。会館(同業・同郷・同族者らが集会用に異郷に建てた施設)、義塚または義山(共同墓地)、学校、病院などを建て、相互扶助を行う。 主な郷幇は、福建幇、潮州幇、客家幇、広東幇など。
・業幇(ぎょうばん)……同業者で作る職業的連帯集団。仕事上の便宜を与え合う。
・・・地域生活や仕事の共同組織としてかなり生活に根をおろしている様子がうかがえます。

★では「幇」のつながりとは、具体的にどんなものなのだろう?小室直樹先生によれば、中国人の「すべての人間関係」という集合を考えると、この集合のなかにごく一部の「幇」という部分集合をつくると、すべての人間関係は、「幇」とそれ以外に分けられるという。
以下引用は 『中国原論』より
さて「幇」と「幇以外の人間関係」の違いとは――。
ちがうのちがわないのって、根本的に違う。天地雲壌の違いである。幇内の人間関係たるや盟友も盟友、絶対的盟友である。死なばもろともである。勿論、いくら借金したって証文などごうりも必要としないことは言うまでもない。
この幇こそ中国独特の人間関係であるから、徹底的に腑に落としきっておかねばならぬ。
典型的な「幇」の結びつきの例として、三国志の三人の結びつきについて述べている。
劉備、関羽、張飛、の三人は、以前からずっと見知っていた訳ではないし、血を分けた兄弟でもない。しかし、ひとたび桃園で義盟を結ぶや、実の兄弟なんかとは桁違いに固い契りの義兄弟となって、ここに劉備・関羽・張飛の三人幇、三人組みが成立する。
こうなってしまったら最後、彼ら三人のあいだの契りがいかに固いものか。
彼ら三人のあいだでは、利害、争いから完全に自由であり、絶対に信頼でき、完全に理解しあい、そして生死を共にする。まことにそのとおり。一点の疑点もない。これが幇(幇会(パンフェ))内の人間関係である。
なんと、生死まで共にする関係。確かに日本ではこんな例は聞いたことがない。
では幇外に対してはどうなる?
幇内の人間関係は、まことに生死をともにするものである。では、幇外の人間関係は、どういうことになるのだろうか。
ひとことでこれを言うと――。
何をしてもよろしい。窃取強盗ほしいまま。略奪、強姦、虐殺・・・・何をやっても少しもかまわない。いや、かまわないどころではない。それが論理であり、それが道徳である。・・・・・
よく知られているところでは、かっての古代ベドウィンの民。砂漠の流浪民なのだがチャンスがあれば、隊商でも村落でも、ほしいままに略奪し、虐殺 し・・・。こんなこと、古代ベドウィンの倫理・道徳では、少しも不倫でも非道でもない。全くもって、倫理的・道徳的な行いそのもの。
最後に古代ベドウィンが出てきますが、ベドウィンは父系集団。
中国の「幇」は血縁以外の人々が、独自の強力な規範と仲間意識をもって、“義”で結ばれた男集団を形成していることが特徴だ。
起源として考えられるのは、ベドウィンの例に見られるような、父系集団の強力な自集団正当化の観念を、仲間世界まで応用して横軸となしたことではないだろ うか。だから、他集団に対しては容赦なく略奪・強姦okになる。(日本で言えば、“盟友の誓い”とか近いかも。どちらかというとヤクザの規範に近い。)
これが、冒頭の疑問“身内に対しては結束力がつよいが、外に対しては出し抜く”という日本人の中国人評となる。彼らの集団規範からすれば、ごく当然の行為なのだ。
従って単純に中国人は、個人主義が強いなどとは言えない。「宗族」と「幇」は、ある意味強烈な集団主義だ。ただ、日本や欧米には存在していない点が分かりにくいのだろう。
次回「幇」を中心とした人間関係の多重性について見てみたい。
(by Hiroshi)