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ウィキ引用。
四海幇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
四海幇(しかいほう、スー・ハイ・パン)は、台湾全域及び中国を拠点に活動する黒社会組織(暴力団)。構成員数は不明であるが、総構成員は数万人とも言われている。台湾三大黒社会の一つとして竹聯幇、天道盟と並び称されている。
四海幇は数度の解散と組織改革を経て、結成当初に比べその勢力は小さくなっている。現在は表面上解散をしている四海幇であるが、組織はなおも勢力を有しており、秘密裏な活動を行っている。現在組織の締め付けを目的に長老構成員による組織改革が積極的に行われている。
略史 [編集]
1953年、馮祖語は学生及び眷村の仲間とともに「四海兄弟(四海同胞)」を合言葉に四海幇を結成した。当初は弱小組織であり、台北市西門町一帯を拠点に活動したが、構成員に政治家要人の子弟が参加したことより強固な基礎を築き上げた。数年後には各地の黒社会構成員及び外国人に対し勧誘を行い構成員を増加させ、1960年には1万人もの構成員を有すようになり、台湾当局の取り締まり対象となった。
1962年、台湾当局の取り締まりにより四海幇は解散の危機に瀕し、また組織の内部分裂や抗争により危機的な情況となった。他の黒社会組織は四海幇の弱体化に乗じ四海幇の勢力範囲に食指を伸ばし始めた。その代表的なのが竹聯幇であり、この時勢力を急速に拡大させている。勢力が衰退した四海幇は組織の維持がかなわずこの時に一度組織解散を迎えた。
1971年になると、劉偉民、陳永和、蔡冠倫により四海幇再興を目指す活動が再開された。他の黒社会組織と抗争を行い自己の勢力圏を確保した四海幇は組織再興を宣言、劉偉民を幇主とした。
1986年、劉偉民が訪問先の日本で射殺される事件が発生した。その後蔡冠倫が権力を掌握したが、警察の取締りと自ら出馬した立法委員選挙での2度の落選を受け組織の弱体化を招いた。その後第3代幇主となった陳永和は組織の建て直しを図り、その勢力を拡大した後に趙経華に幇主の座を禅譲した。しかしその実態は陳永和の院政であり、四海幇を企業化させ更に勢力を強大なものとした。
1996年、陳永和と幹部構成員である藺磊洽は自ら経営するレストランで射殺される事件が発生した。社会問題化したこの事件は台湾当局の取締活動へとつながり、趙経華と副幇主である楊光南はそれぞれアメリカと中国に逃亡している1997年2月3日、四海幇幹部構成員の董克誠は 副幇主を自称、7名の構成員と共に台北市刑事警察大隊に赴き、幇主趙経華の代理人に名義で四海幇の解散を宣言、アメリカ滞在中の趙経華も幇主を辞任するこ とを宣言した。幇主辞任及び幹部構成員の国外逃亡により四海幇は正常な組織運営が不可能となった。この情況下で中国に滞在していた楊光南が幇主代行に就任 した。この解散は当局の監視を逃れるための方策であり、新しい体制の下活動は従来どおり続けられた。
楊光南は四海幇本部を上海に移転させ、中国を活動拠点とする組織に改編し、現在でも中国で大きな勢力を有す黒社会であった。しかし2000年11月、楊光南が上海当局で逮捕、12月6日に台湾に護送されると四海幇は再び危機を迎えることとなった。
実質的な幇主の逮捕により賈潤年が幇主に就任し組織運営に当った。しかし2003年末に賈潤年の息子が犯した失敗を引責する形で幇主を辞している。
現在四海幇の幇主は不在の状態であり、賈潤年と楊光南が精神的な領袖となっている。組織運営の実務は幹部構成員によって処理されている。
歴代幇主 [編集]
関連項目 [編集]
カイホウの幇主ってなんだかわからないままだったけれども、ウィキに解説が載っている。
丐幇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
丐幇(かいほう、簡体字:丐帮、拼音: gàibāng )は、中国の大衆小説である武侠小説に登場する、乞食によって構成される幇会である。
乞食たちの生活面における共同体、互助組織である一方、独自の武術を身につけ、義侠の行いを旨とし、武林における勢力をなしている。構成員は天下に広く存在し、江湖の巨大勢力とされている。
丐幇は、基本的には正義の組織と位置づけられ、宋代や元代、清代など異民族の侵略に晒されている動乱期は、愛国色、民族主義色を強めて、侵略民族への抵抗に参加する傾向が強い。一方、特定の時代を設定していない、歴史色の薄い作品の中では、武林の覇権を巡ってしばしば他の門派と争う。
金庸作品における丐幇 [編集]
丐幇は、『射雕英雄伝』『神鵰侠侶』『倚天屠龍記』の三部作や『天龍八部』といった金庸作品において、物語の重要な位置を占めている。その中では頭たる幇主は、その証として代々「打狗棒」という竹の棒と、それを用いた「打狗棒術」という武術を受け継ぐことになっている。また、構成員はそれぞれ地位に応じた数の袋を持つとされている。
歴代幇主 [編集]
- 北宋
- 南宋
- 元
- 史火龍 (倚天屠龍記)
- 史紅石 (倚天屠龍記)
- 明
- 解風 (笑傲江湖、※年代不詳なので推測)
- 清
黒社会とは、総称であって、さまざまな組織を意味しているが、武侠ドラマの江湖って、なんだろうと思っていたけれども、黒社会のことだったらしい。
黒社会というのは、いったいどういうものなのだろうか。
ウィキペディアで調べた。
黒社会(くろしゃかい、黑社會、ヘイシャーホェイ)は、中国語圏において、種々の犯罪組織を総括して指すときの言葉ないし特定の組織を指して用いられるのではなく、犯罪組織や地下経済、およびそれらにより派生する抽象としての社会を表す言葉である。英語で言うところの Underworld(の一義)、日本語で言うところの裏社会や闇社会と同義であると言える。黒幇(黑幫)、黒道(黑道)などとされることもある。「江湖」も黒社会と同じような意味で使用されることがある。
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単語としての『黒社会』 [編集]
中国語上の『黒社会』 [編集]
例えば中國的黑社會(中国の黒社会)、台灣的黑社會(台湾の黒社会)、美國的黑社會(米国の黒社会)、日本的黑社會(日本の黒社会)、などというように、地域によらない普遍性を持つ言葉として、まさに日本語上の『裏社会』と同じ意をもって用いられている言葉である。
逆に中国でそいう呼び方もあります→「白道」
日本語上の『黒社会』 [編集]
日本語においても用いられる言葉であるが、これは中国語における『黑社會』をそのまま輸入したものであると考えられ、既に同様の意味を持つ『裏社会』という言葉が存在することから、特に文学や娯楽の分野において中国語圏の裏社会を固有に表す言葉として用いられる場合がほとんどである。
各地域の『黒社会』の概況 [編集]
黒社会についてこれを中国語圏の裏社会と定義したうえで各地域の状況を以下に示す。
中国語圏の裏社会を構成する組織はそのルーツに清朝の打倒を目的として結成された反清復明の秘密結社を持つものが存在する。それらは国共内戦などにも深くかかわったが、徐々に犯罪組織へ変質したものもあったと説明されている。これらの組織の多くは、秘密結社の位階、儀式、暗号、掟(規則)等を取り入れていると言う。
香港 [編集]
三合会を筆頭として、その構成組織である14K、新義安、また和勝和など、幾種の犯罪組織が割拠しており、しばしば(中国語圏における)黒社会の首都とも呼ばれてきた。1997年前後には、香港の中国返還で取締まり強化や中国の刑法の厳格な死刑適用を懸念し、少なからぬ数の構成員が英国やその他の国に移動したと推測されている。
台湾 [編集]
日本における『黒社会』 [編集]
東京の新宿-歌舞伎町が最大の拠点とされ、かねてより複数の組織が存在し、縄張りや利権をめぐって抗争事件を引き起こしている。警視庁は集中捜査と取り締まりの強化を進めているが、歌舞伎町から構成員が他の都市へ分散する傾向もあると言う。また、黒社会の関与をうかがわせる事件は以前より大阪のミナミでも発生していると言う。
また、組織は持たない蛇頭にも、黒社会の構成員や日本の暴力団が関与することがあるとされる。
正規の送金でかかる15%の税金を逃れるための不正送金にも黒社会が関与しているとされる。警察庁によると1992年から2001年までに摘発された不正送金(地下銀行)グループによる中国への不正送金は11件、総額1200億円である。また、2008年に不正送金グループが45口座を日本の金融機関に所有し、5年間に24億円を不正送金していた事件が摘発されている。
『黒社会』に関する書籍 [編集]
- 田雁(鈴木健一 訳)『BLACK CHINA 中国黒社会 規範なき大陸の暗黒年代記』 バジリコ 2004年
- 石田収『中国の黒社会』 講談社 2002年
- 溝口敦『中国「黒社会」の掟 チャイナマフィア』 講談社 2006年
- 富坂聡『潜入 在日中国人の犯罪シンジケート』 文藝春秋 2003年
- 何頻、王兆軍(中川友 訳)『黒社会 中国を揺るがす組織犯罪』 草思社 1997年
- 陳放(椙田雅美、宮崎真紀 訳)『海怒(ハイヌ) 東京黒社会群狼記』(上・下) バジリコ 2004年(フィクション)
『黒社会』の登場するフィクション [編集]
- 『ゴルゴ13』 「殺しの紋章五爪竜(ウーツァオロン)」「チャイナタウン」
- 『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』