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歌舞伎町は外国人たちが作り上げた街という裏の顔を持つ。
戦後、開放国民となった台湾華僑や半島出身者たちが土地を手に入れビルを建てた。
彼らや街の有志たちが大同団結し荒地であったこの街を一大娯楽街にと映画館・劇場などの娯楽施設を作り歌舞伎劇場を誘致しようとした。
その際に歌舞伎町と言う町名が誕生した。
そうした歴史を持つ街の自国出身成功者を頼って外国人が集まるのも、ネオンの輝く歓楽街に集まるのも当然の事であった。
家賃も安く再開発の遅れた住宅地を周辺に抱えていたことも好条件だった。
この街で初めて外国マフィアという名称が与えられたのは韓国・台湾ヤクザたちだ。
戦後、ともに自由主義国家の道を歩んだ韓国・台湾のヤクザは日本のヤクザと精神性に共通点が見られ、ヤクザの権益を荒らすことなく闇の奥深くで彼らは増殖していった。
韓国ヤクザは次第に事業化していき、のちに歌舞伎町にコリアンゾーンを作り上げた。
知られざる韓国組織暴力(ヤクザ)事情とその歴史
問題は台湾ヤクザであった。「竹連幇」「四海幇」「天道盟」という黒社会の人間が身分詐称して入国した。流珉と呼ばれる彼らは凶暴であった。
歌舞伎町に近いマンション「O」で台湾マフィア同士が激しい銃撃戦を繰り広げ全員が死亡するまで殺し合った。
その後、警戒に当たっていた職質警官をいきなり射殺するという事件が続いた。犯人は「殺手」と呼ばれ台湾で十数人を殺し海外逃亡中の凶悪手配犯であった。
警察の摘発にヤクザの排除という表裏一体の攻撃を受けた彼らは衰退していった。
その後、イラン人が台頭してきたが、彼らもヤクザたちに駆逐され消えていった。
空白を埋めたのは中国人マフィアたちであった。彼らは上海、北京、福建という三大グループを中心に出身地ごとにグループ化していた。
「看板」を出している日本人ヤクザと違い、彼らは簡単には実態を見せなかった。
地元の日本人組織も最初は自国人のみを相手にしたシノギに関しては黙認していた。
しかし暴対法で日本人ヤクザの行動が制限されると彼らは一気に力を付けた。そして事件は起きた。
九十四年八月十日、歌舞伎町の裏面史に残る残忍な殺人事件であった。快活林事件、俗にいう青竜刀事件である。
この事件で中国マフィア・黒社会というものが衝撃的にクローズアップされた。
一般的には彼らのシノギである弁当販売の利権争いが原因と発表されているが、それは単なるきっかけであり、実際には中国マフィアの「北京」と「上海」の抗争の一部であった。
快活林事件の前に福建出身のヒットマンが別グループから殺人を依頼され対立グループと繋がった中国系マレーシア人やクラブ経営者を殺害するという事件が連続していた。
これらは自国人就労者を客にした賭博利権などの奪い合いであった。
彼らは自国人専用のサロンという名の非合法の賭場を開いていた。
そこでは就職・不動産・偽装結婚・保証人の斡旋、犯罪情報の交換、盗品マーケットや地下銀行業務も行われていた。
その奪い合いに加えて売春利権や金銭問題などが蓄積され一気に爆発した抗争であった。
さらに売春、薬物をシノギとする東北マフィアという新勢力も台頭。
歌舞伎町で地元組織のひとつが主催して親睦交流会が秘密裏に開催された。集まった中国人幹部は三百人であった。
そうした彼らの実態を把握できずに一斉摘発という社会的弱者までをも巻き込む大動員作戦を取るしかなかった当局の苦肉の対策とヤクザという自浄抗体を骨抜きにした施法は、彼らを完全な犯罪者集団に変え各地に四散させて日本を犯罪天国にしてしまった。
ピッキング、スキミング、旅券・金券・カードなどの偽造技術のほとんどは彼らが持ち込んだものだ。
ちなみにこの街の歌舞伎という言葉は中国では「舞伎館」という遊郭・娼館に勤める歌妓・舞妓や娼婦のことである。
有名な看板アーチである歌舞伎町一番街・・・、
一番の売春婦街と書いてあることにもなる。
街の名前に誘われて彼らが集まるのも無理からぬ話である。
1987年2月 歌舞伎町近隣のマンションで台湾マフィア同士の銃撃戦。3名死亡。
1987年12月 大久保のマンションで台湾マフィア幹部2名が射殺される。犯人は前科16犯の「ピストル楊」こと楊双力(五)であった。
1988年1月 四谷で台湾マフィア二名を恐喝で逮捕。台湾で十六名を殺して国際手配中だったことが判明。
1992年9月 職質警官が台湾マフィアにいきなり射殺される。これを機に台湾マフィア衰退。
1993年 イラン人の台頭。
1994年 中国マフィアの三大グループ「上海」「北京」「福建」勢力拡大。
1994年2月 中国人クラブ「Y」殺人事件。上海人経営のクラブに福建人が襲撃。
1994年6月 中国人クラブ「C」で客の福建人が上海人を刺殺逃亡。
1994年7月 カラオケスナック「K」に青竜刀を持った中国人が襲撃。
1994年8月 快活林青竜刀事件。
1994年 歌舞伎町で働く不法滞在中国人女性が逮捕。入管警備局で暴行を受ける。これに抗議した在日中国人は「入管暴力抗議実行委員会」を結成。
1995年9月 警視庁は「新宿地区環境浄化総合対策本部」を設置。「環境浄化作戦」を展開。正業を持つ中国人らが「新宿華人商業相互組合」を結成。
1998年 警視庁は歌舞伎町「国際組織犯罪特別捜査隊」を結成。
1998年8月 銀座宝飾店強盗事件、旅券偽造で歌舞伎町上海マフィアのボスD逮捕。
1999年 韓国カジノとクラブの経営者が射殺される
2000年 貸し金庫の管理をしていた女性が中国人に殺害される
2000年2月 改正入管法」施行。不法滞在の時効を廃止。摘発・強制送還の簡素化。
2000年4月 中国政府が観光ビザ発行開始。日本への観光ブーム到来。
2001年8月 福建マフィアによる中国クラブ「V」強盗殺人事件。日本人店長が殺害される。
2001年11月 中国クラブ「R」ママ強盗殺人事件
2002年2月 歌舞伎町監視カメラ運用開始
2002年9月 喫茶「P」にて東北マフィアが住吉会幸平一家組員を射殺
2002年10月 その報復といわれる中国クラブを狙った歌舞伎町異臭事件
2002年10月、喫茶「P」の報復で住吉会幸平一家は、中国側運転手を刺殺。死体を新宿区上落合に遺棄。
2003年1月 中国女子留学生のマンションに4人組の中国人強盗
2003年3月 大久保のマンションで中国人殺害される
2003年4月 「東京入国管理局新宿出張所」「警視庁組織犯罪対策課」が歌舞伎町に新設され、外国人一斉摘発。福建マフィア壊滅?東北マフィアが勢力を増す。
2004年6月 「歌舞伎町刷新プラン」発動 歌舞伎町浄化大摘発スタート
2005年1月 「歌舞伎町ルネッサンス協議会」
2005年3月 東北グループ、残留孤児二世「怒羅権」のボス「大偉」逮捕される。
2006年1月 2001年8月のクラブ強盗殺人事件の国際手配していた中国人の男3人に中国の裁判所が死刑・懲役刑の判決。
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※ 東北グループ(東北幇 )
中国東北地方(旧満洲=遼寧、吉林、黒竜江3省)出身者または日本に帰国した中国残留孤児の二世からなる中国マフィア。 中国東北3省は貧しいが、歴史上、日本と関わりが深く高校でも日本語を教えている。
※「パリジェンヌ」事件
2002年9月、新宿歌舞伎町風林会館1階のグリル「パリジェンヌ」で中国マフィア(東北幇)がヤクザ(住吉会系幸平一家)2人を殺傷。 銃撃犯、金石(日本名、村上)は黒龍江省出身で、事件後、中国に逃亡。
2002年10月、住吉会幸平一家は、中国側運転手、張立濤を刺殺。死体を新宿区上落合に遺棄。この事件で住吉会幸平一家組員5人が警視庁の指名手配を受け、数人が逮捕される
2003年3月、金石(日本名、村上)、澳門に入ろうとして中国公安局に拘束され黒龍江省に移送される。
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(C)SHINSHUN
中国の特有の人間関係 「幇」
>・なぜ中国人は自己中=個人主義が強いのか?・・・・・ちょうどるいネットでも紹介されていますが、中国人は血縁の結束力は強いが、他に対しては出し抜くことばかり考えているという。その源流はどこにあるのでしょうか?中国文明のなんで?
こんにちは、Hiroshiです。
中国人の身内での結束力と、身内や親しい人以外に対しての割り切り、非情さ。その性質を巡って中国人に対する評価が、大きく分かれているように思います。
それを解く鍵・キーワードは、「幇」(“パン”または“ほう”)という言葉にあるようです。
★中国社会の構成は極く簡単にまとめると、
縦軸(血縁のつながり)として父系集団としての「宗族」があり。
横軸として仲間や連帯の契りを結んだ「幇」がある。
宗族についてはとりあえず、 「中国社会の基本構造:宗族と祖先崇拝・儒教」を参照してほしい。ここでは、主に「幇」について調べてみたい。
みなさん「幇」ってご存知でしょうか?僕なんかどうも青幇・紅幇なんかの秘密結社?とかを思い出してしまうのですが、どうも中国人至るところ「幇」ありという感じらしい。
たとえば、世界中に進出している華僑。華僑より>
華僑は「幇(パン)」という同郷同胞の連帯組織を作り、相互扶助を行う。
「幇(パン)」には次の2種類ある。・郷幇(きょうばん)……籍貫(しゃくかん)(=出身地)に基づく地縁的集団。会館(同業・同郷・同族者らが集会用に異郷に建てた施設)、義塚または義山(共同墓地)、学校、病院などを建て、相互扶助を行う。 主な郷幇は、福建幇、潮州幇、客家幇、広東幇など。
・業幇(ぎょうばん)……同業者で作る職業的連帯集団。仕事上の便宜を与え合う。
・・・地域生活や仕事の共同組織としてかなり生活に根をおろしている様子がうかがえます。

★では「幇」のつながりとは、具体的にどんなものなのだろう?小室直樹先生によれば、中国人の「すべての人間関係」という集合を考えると、この集合のなかにごく一部の「幇」という部分集合をつくると、すべての人間関係は、「幇」とそれ以外に分けられるという。
以下引用は 『中国原論』より
さて「幇」と「幇以外の人間関係」の違いとは――。
ちがうのちがわないのって、根本的に違う。天地雲壌の違いである。幇内の人間関係たるや盟友も盟友、絶対的盟友である。死なばもろともである。勿論、いくら借金したって証文などごうりも必要としないことは言うまでもない。
この幇こそ中国独特の人間関係であるから、徹底的に腑に落としきっておかねばならぬ。
典型的な「幇」の結びつきの例として、三国志の三人の結びつきについて述べている。
劉備、関羽、張飛、の三人は、以前からずっと見知っていた訳ではないし、血を分けた兄弟でもない。しかし、ひとたび桃園で義盟を結ぶや、実の兄弟なんかとは桁違いに固い契りの義兄弟となって、ここに劉備・関羽・張飛の三人幇、三人組みが成立する。
こうなってしまったら最後、彼ら三人のあいだの契りがいかに固いものか。
彼ら三人のあいだでは、利害、争いから完全に自由であり、絶対に信頼でき、完全に理解しあい、そして生死を共にする。まことにそのとおり。一点の疑点もない。これが幇(幇会(パンフェ))内の人間関係である。
なんと、生死まで共にする関係。確かに日本ではこんな例は聞いたことがない。
では幇外に対してはどうなる?
幇内の人間関係は、まことに生死をともにするものである。では、幇外の人間関係は、どういうことになるのだろうか。
ひとことでこれを言うと――。
何をしてもよろしい。窃取強盗ほしいまま。略奪、強姦、虐殺・・・・何をやっても少しもかまわない。いや、かまわないどころではない。それが論理であり、それが道徳である。・・・・・
よく知られているところでは、かっての古代ベドウィンの民。砂漠の流浪民なのだがチャンスがあれば、隊商でも村落でも、ほしいままに略奪し、虐殺 し・・・。こんなこと、古代ベドウィンの倫理・道徳では、少しも不倫でも非道でもない。全くもって、倫理的・道徳的な行いそのもの。
最後に古代ベドウィンが出てきますが、ベドウィンは父系集団。
中国の「幇」は血縁以外の人々が、独自の強力な規範と仲間意識をもって、“義”で結ばれた男集団を形成していることが特徴だ。
起源として考えられるのは、ベドウィンの例に見られるような、父系集団の強力な自集団正当化の観念を、仲間世界まで応用して横軸となしたことではないだろ うか。だから、他集団に対しては容赦なく略奪・強姦okになる。(日本で言えば、“盟友の誓い”とか近いかも。どちらかというとヤクザの規範に近い。)
これが、冒頭の疑問“身内に対しては結束力がつよいが、外に対しては出し抜く”という日本人の中国人評となる。彼らの集団規範からすれば、ごく当然の行為なのだ。
従って単純に中国人は、個人主義が強いなどとは言えない。「宗族」と「幇」は、ある意味強烈な集団主義だ。ただ、日本や欧米には存在していない点が分かりにくいのだろう。
次回「幇」を中心とした人間関係の多重性について見てみたい。
(by Hiroshi)
台湾最大暴力団「竹聯幇」トップの盛大な葬儀

陳啓礼は中国江蘇省出身の外省人で、中学時代に竹聯幇の前身「中和幇」に加入。1968年の組織改編後、トップの総堂主となって勢力を拡大。1984 年、国民党の指令で蒋経国元総統の批判的な伝記を著した作家の“江南”こと劉宜良をサンフランシスコで殺害。この「江南事件」で無期懲役の判決を受けた が、政治的な減刑で釈放された。
マスコミが注目したのは、人気歌手の周傑倫(ジェイ・チュウ)が葬儀会場に現れたこと。周傑倫は、江南事件で陳啓礼と共にした呉敦がプロデューサー兼で 投資する映画「カンフーダンク」に主演し、陳啓礼の長男・陳楚河(チェン・チューハー)がスクリーンデビューする。ヒロインには堀北真希やBoAも浮上したが、TWINSの“阿Sa”こと蔡卓妍(チャーリーン・チョイ)が起用されている。
名誉葬儀委員長に国民党員ながら本土派で立法院長の王金平が務め、民進党や国民党の政治家も連ねる異様な事態。「国のために働いて逮捕された被害者」と 英雄視されるが、これに異を唱えたのが陳水扁総統である。「暴力団・マフィアのトップに立つ人物を英雄扱いするのは良い教育ではありません。特にメディア は報道を自粛すべきだ」
最後の仲裁者
一昨年5月にも、台湾の黒社会で“最後の仲裁者”と言われた許海清の葬儀行進が金宝山一帯で行われ、竹聯幇、四海幇、天道盟はもちろん、日本の住吉一家 「野口会」の野口松男会長ら組員が参加。“マカオのカジノ王”と呼ばれる何鴻栄(スタンレー・ホー)の関係者、及び歌手の余天(ティン・ユー)や張菲 (チャン・フェイ)も駆けつけている。
葬儀委員会には、許海清と同じ厦門(アモイ)出身で今年77歳の“長老格”にあたる天道盟の領袖・陳仁治、竹聯幇の老大・趙爾文、松聯幇で“豹兄”と呼 ばれる王知強、牛埔幇で“牛財”と呼ばれる葉明財など。これらは、“猟殺十三太保”と呼ばれる警察の極秘ファイルに含まれる13人のブラックリストたちで ある。
許海清は身長158cmと体重35kgの倭小な体つきで、蚊のように小さい例えから“蚊兄”とも称された。国民党の推薦で台北市会議員を歴任し、ホテルやナイトクラブも経営していた。